高い技術があっても需要がなければブラック確定の衰退産業だ!

衰退する産業の技術はどんなに高くても学ぶ必要はない

どうも!数々のブラック企業を転々としてきたAtusiです!
 
 
時代ってのはどんどん流れており、必要になるものもあれば無くなるものも必然的に出てきます
 
 

大工になるための職人の技を学ぶ職業訓練校が沼津市にあります。これまで多くの職人たちを育ててきましたが、現在の在校生はわずか1人。今、廃校の危機を迎えています。

 沼津市にある沼津高等職業訓練校です。生徒は週3日、夜に学校に通い、大工になるための匠の技を3年間かけて学びます。清優希さんも、その一人です。
<清優希さん>「最初は難しいけれども、丁寧に教えてもらっているうちにいろいろなことを覚えて、できることも増えてきた」
 しかし、生徒は2年生になる清さん一人しかいません。現役の大工で校長の渡邉秀行さんは「廃校」という言葉が頭をかすめると言います。
<沼津高等職業訓練校 渡邉秀行校長>「2~3年して生徒が入らなければ廃校になっちゃいますね」
 沼津高等職業訓練校は、徒弟制度が色濃く残っていた高度経済成長期の1961年に設立。以来、左官や板金工など、現役の職人が教師となり、1000人以上の技術者を育ててきました。長澤祥幸さんは15年ほど前に訓練校を卒業しました。この日は渡邉さんの元を手伝いに来ていました。
<卒業生の長澤祥幸さん>「やっぱり、やりがいがありますよね。普段やっているハウスメーカーの仕事とは違って、やった感はありますよ」
 職人として渡邉さんの腕には今もかなわないと言います。
<卒業生の長澤祥幸さん>「これらも仕上げるのは大変で手で仕上げている」
 くぎ一本も使わずに丸太で屋根の重さを支える「丸太梁」。かんなで削り上げたヒノキの柱。しかし、一方で道具が進歩し、機械化が進んだ今の時代。木材を工場でカットして現場は組み立てが中心になるなど大工の腕が必要とされなくなってきたとも感じています。
<卒業生の長澤祥幸さん>「材料のロスも少ないし、現場での安全面も高い」
 校長として学校を守ろうとしている渡邉さん自身、時代の流れを感じています。しかし、どれだけ機械が高性能になっても、職人としてカンナやノミなど道具の扱い方や木の性質を知らなければ良い家は建てられないと考えています。
<沼津高等職業訓練校 渡邉秀行校長>「機械の方が精密ですけれども、手作りには手作りの良さがありますから」
 職業訓練校でこの日は実技の講習です。校長の渡邉さんが自ら指導に当たります。この日は材木を長くするため木と木をつなぎ合わせる継手です。ノミで削り上げます。
<清優希さん>「実際に手が刻むことは少ないと聞いたけれど、将来役に立ったらと」
<沼津高等職業訓練校 渡邉秀行校長>「今までやった中で良いほうだと思いますよ」
 渡邉さんが伝えたいのは大工としての基礎と心構え、そして、誇りです。
<沼津高等職業訓練校 渡邉秀行校長>「何しろ手で覚える体で覚える仕事を残したい。そのような気持ちです」

大工の技を受け継ぐ職業訓練が廃校の危機 千人を超える職人を輩出(静岡県)
 
 
とまぁこういう衰退する仕事の技術について思うのですが、他人がやってるのは勝手だけど自分自身はやる必要はないなって思います
 
こういう衰退産業の仕事ってどんなに難しくて高い技術だったとしても、お金にならないんですよね

 
そして衰退産業ってのは構造的にどうしても稼げなくなり、現状を維持するので精一杯なので、どんどん働いている人間の待遇を悪くしないとやっていけません
 
ブラック企業やクソみたいな職場を避けたければ就いてはいけないと心の底から断言できます
 
 
今回は衰退産業とブラック企業について実際に自分が働いて感じたことを書いていこうかと! 



そもそもお金になるようであれば衰退なんかしない

まずそもそもの話なんですが、衰退していく産業というのはお金になりません
 
もし仮にお金になるような仕事であれば、需要も供給も人が殺到するので衰退するということがありません
 

 
衰退するということは、もはやお金にならないものだと言ってるようなものですし、ブラック企業というのは利益の低くても従業員を搾り取ることで成り立つものであり、必然的に衰退産業というのはブラック企業になる仕組みが出来上がってしまっているのです
 
これが衰退産業がブラックだと断言できることであり、衰退産業でホワイトというのはもはや存在しないのです
 

お金になるかならないかは技術力ではなく需要と供給

よく勘違いしている人が多いのですが、高い技術というのはそれ単品ではお金になることはありません
 
お金になるかどうかというのは、需要と供給のバランスが圧倒的に需要のほうが多いかどうかということだけです
 
 
極端な話をすれば、その辺の石ころだって1つに何億と積むやつがいっぱい居たら値段が跳ね上がりますし、今現在何十億とする骨董品も欲しがる人間がいなければ価値がゼロのガラクタでしかありません
 

よく「技術は金になる」ということを言ってる人間を見かけますし、それそのものは間違いではないのですが、言葉通りに受け取るのは違うのです
 
高い技術が金になるというのは、それをやる人が少ないから希少価値があり、欲しがる人間がいたら供給が圧倒的に少ない場で戦えるというだけであって、いくら技術が高くても需要がなければ意味がないのです

衰退産業にしがみついてる人間を見てると変わることを放棄した甘え

「技術を守る」という風に言ってしまうとかっこよく聞こえてきますが、実際にこういうことを言ってる人間を見ていると、どの人間も衰退産業にしがみついて他に行くことが出来ずに変わろうとしない人間ばかりで甘えなんですよね
 
 
実際に需要がなくなっていく衰退産業にいる人間で、どれほど高い技術を持っていたとしても、生死にかかわるレベルの貧困ということも決して珍しくなく、間違いなく裕福な人間はいません
  
逆に衰退産業に見切りをいち早くつけ、新しいことをした人間ってのは大体成功している人が多い印象です
 
 
そうした変わろうとする考えを放棄した人間が、カッコつけてこんなことを言って綿糸で首を絞めて自殺に向かってるだけであり、守る価値がなかったり衰退していくものにしがみついて溺れてるだけでしかないのです

特に中小企業がこの傾向が強く、一時の成功体験が忘れられず、沈む泥船でももったいない精神で乗り続け、最後は死亡ってことになっていました
 

終わりに・ブラック労働を避けたければ衰退する技術は学ぶ価値なし!

そういうわけで高い技術というのはどんなにすごくても、需要がなければ意味がありません
 
そして衰退産業というのは、その需要が圧倒的になくなってしまっているので、そんな環境で頑張っても意味がありません
 
 
なので衰退して亡くなる技術というのは、いらなくなったから途絶えるものであり、そこを無理して維持しようとしても自分が苦労するだけで意味がありません
 
目を向けるべきは、今後需要が増えるものであり、需要さえあれば技術の高低はあまり関係なく、収入を得ることができやすいのです
 
 
そういった需要があるものを探すのは、景気がいい会社を探すのが一番であり、労働者は身軽さから勝ち馬に乗り換えることができるので、衰退するところはとっとと見捨てていくべきなのです



 
 

 

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