そして自分は絶対に選択しないということ

どうも!数々のブラック企業を転々としてきたAtusiです!
 
 
このブログでは常日頃から社畜や底辺環境を貶すようなことをたくさん書いています
 
そういうことを書いていると割とよく
 
 
「お前が底辺職とけなすようなことだって高度なスキルや技術が必要なんだぞ!」
 
「お前が一生かかっても出来ないようなことをやってる人たちなんだぞ!」
 
「だったらそういうことは絶対に利用するなよ?」
 
 
といった的外れな批判を目にします
  
 
そういった意見を見ると何も理解してないって感じますし、そういった連中を相手に書いてるブログじゃないんで内心では動物園で珍獣を見る気分で見ています
 
今回はこれらの見当はずれな意見について記事を書いていこうかと!



スキルの難易度と稼げるということは全くの別物

確かに底辺職と呼ばれている仕事でも技術やスキルが必要なものはたくさんあります
 
そしてそれらが簡単なものでもないということもわかるんですが、だからといってそれらが稼げる仕事かというと全くの別問題です
 
 
例えば介護士なんかも様々な勉強をして資格を取って・・・とかしないといけない割には生活保護以下の給料でこき使われたりしますし、難しさと稼げる額が全く比例していません
 
ドラクエに例えたらラスボス倒すくらいの難易度なのに報酬がスライム一匹と同じくらいのもので、はっきり言って趣味の領域ですし、稼ぐだけならもっと効率がいい方法があるので自己満足の領域を超えないのです
 
 
私自身もいくつも底辺職を転々としてきましたが、どれも自分の人生をささげる程の見返りがないほどの困難さと報酬だということが断言できます
 
もしその仕事が本当に心の底から好きであれば勝手にしたらいいと思うんですが、嫌いなのにマゾヒストなことを自分からやるのはおかしいと言えますね
 

「誰でも始められる」と「誰でもできる」は別物

よく底辺職って誰でも出来るといわれがらも難しさと報酬が反比例しているといっても過言ではないことが多いですし、言葉がおかしいなと感じます
 
これの本当の意味は「誰でも始められる」だけであって「誰でもできる」というものではありません
 
 
まず敷居が低いからこそ気軽に始めることができ、その母数が大きすぎるからたまたま続く人間が多くなってしまい、そのせいで限られたパイを奪い合うことで利益率が悪くなり、せっかく見つけたできたことを捨てることができない人間がしがみつくから底辺職になってしまうのです
 
これが始めるのに環境や資金といった大きな壁があるものであれば、それだけで大半の人間には選択肢に入らないのでふるい落とされることになるので、母数が少ないからこそ市場の奪い合いがそんなにないので一人当たりの利益が大きくなるのです
 
 
だいたい底辺職って言われているものも実際は必要なものであり、本来であれば価値が上がっていってもおかしくないのですが、それでも手軽にできるから人が多くなりすぎているから共倒れになるのです
 
 
資本や置かれた状況や年齢といった選択肢が狭まった状況から目先のためにとりあえず手軽に出来ることをするしかないという状況に追い込まれているのです
 
例え話ですが、今すごくおなかがすいていて手には種もみがあるのに、それを育てる余裕さえされば後から目先の種もみ以上食えるのに、その選択肢が取れないほど追い込まれているから目先のものを食うしかないというのと似ています 
 
そのような人間が多いから底辺職は少ないパイを奪い合うことになって稼げない底辺職になってしまっているのです 

 
 
確かに成果の出来不出来に目をつむれば大体のことはだれでも出来るといえますが、それがちゃんとした仕事としての水準まで完成させられるとなれば話は別です
 
始めるハードルの低さの「誰でも始められる」ということがごちゃごちゃになって「誰でも出来る」ということになっているのです
 
 

割に合わなさすぎることは絶対にやらないということ

そしてスキルの難易度が収入の大小ではないということであれば、割に合わない仕事はやらないということが正解なのです
 
底辺と呼ばれている仕事でも稼げるのであれば別に底辺でもなんでもないですし、稼げないから底辺であるということが断言できます
 
 
そういった労力と見返りがあっていないことをやると時間と資金の両方を大きく消耗して力を失うことになるのでどんどん選択肢が狭まるということになりかねません
 
もし時間とお金に余裕があったらじっくりと職を選ぶことができたり、手に職をつける訓練だってできますが、底辺というのはそういった余力がないのです
 
 
だからこそしっかりと稼ぐのに問題がない環境を選ぶべきであり、スキルの難易度から見て割に合わないことというのは外していくべきなのです

 

終わりに・自分はもっと割に合う仕事を選択するべきだ!

底辺と呼ばれる仕事も世の中には確かに必要な仕事ではありますが、だからと言って自分自身がそれを選択する必要はありません
 
そういったことは選択せざる終えなかったり、選択を放棄した人間がやればいいだけの話であり、わざわざ選ぶことができる人間が好きでもないのに選らなばくていいのです
 
 
よく「底辺を馬鹿にするな!」みたいな意見を耳にしますが、ぶっちゃけそういって擁護している人間だって自分が底辺に落ちたいか?と聞けば絶対に首を縦に振ることはないので、ただの雑音でしかありません
 
口ではきれいごとを言いつつも、自分は嫌だって言ってる人間は所詮はその程度なんで、聞く耳を持つ必要がないということが断言できます



 
 

おすすめの記事