苦労や困難があるから楽しさを感じれるは嘘。無ければもっと楽しい件

苦労や困難無いけど普通に楽しいしと感じていますね
 
 
 
どうも!社畜を辞めて自分で稼ぐことを選択したAtusiです!
 
 
社畜時代に「苦労や困難があるから楽しさを感じる」と言われたことがあり、楽しいことばっかりやってても飽きるよ?って意味だと感じましたが、苦労や苦痛を避けて活動をしていますが、特に楽しさが減るような事は一切ありません
 
別に楽しいことだけをやっていたとしても楽しさを感じなくなるってことは全然無いので、あの言葉は嘘だと断言出来るのでそれについて今回は書いてみようかと
 
 
結構全国各地で広く聞かれていますが、嘘情報広まりすぎでしょ・・・
 
 
 



苦労や困難が無い方が楽しめる

苦労や困難があったほうが休日などに楽しさを感じるという意見を見かけますが、実際に体験したことのある身としてはアレは絶対嘘
 
むしろ平日に社畜という苦労や困難で消耗しているから体力もなくなるし、思考も社畜なことから頭から離れないしで、苦労している時の方が楽しくないって私は断言していい
 
やっぱり心身ともに万全な状態の時じゃ無い時にやった方が物事って楽しむ余裕が全然無いんですよ
 
 
ボロボロに消耗した状態で何かやろうとしても体がまともに動かなかったら話になりませんからね
 
よって苦痛で消耗したときよりも普通にしている状態でも楽しめるのが普通なんですよ 

  

楽しいことはずーっとやってても楽しい

私は結構ゲームとか大好きなのですが、好きなことってずーっとやってても楽しいんですよ
 
そりゃあゲームだったらソフト自体に飽きることはあるでしょうけど、それでもゲームへの熱はあんまり冷めません
 
 
社畜を辞めてから社畜時代よりも自由な時間が増えたのでコントローラーに手が伸びてしまって、社畜時代よりも長くやってしまうことがありますが、ずーっとゲームはやってても楽しいですし、今でも飽きる気配は特に無いです
 
 
よって苦痛や困難がないと楽しいことをやってて飽きるは嘘
  
 

 

仮に楽しくないと感じるのであれば好きでも無いことの証拠

それにこれは私の持論ですが、苦痛や困難がないと楽しめないような事って、実はそんなに好きでも無いようなことの可能性が非常に高い
 
確かに人って没頭できるほどの事があるというのは幸せなことですが、それが全員にあるわけでも無いということも重々承知
 
 
だからこそ比較的マシなものを触って、実はそんなに好きでもないから飽きるのも早いという
 
消耗しきった状態で判断力を落とした状態でも無い限り、自分が本当に好きなことなのかという判断も出来ていなかっただけじゃないかなと
 
 
大して好きでも無いことはやるだけ時間のムダだと思っているので、そのムダが分かって自然と離れられるならそれはそれでいいじゃないでしょうか? 

  
 

 終わりに・社畜を縛るための言葉としか思えない

誰が最初に言ったのか知らないけど、この言葉って社畜みたいな状況の人間を縛るために作った言葉としか思えない
 
自分から苦痛に飛び込むことが正義みたいな言い方になっているから、苦痛の塊である社畜を逃さないためにピッタリじゃないですか
 
 
だからそんな言葉に惑わされずに、苦痛から逃げたとしても別に物事って楽しめるのが普通なんですよね
 
というか日本って苦痛から逃げるのが恥と見る文化が多すぎで嫌になるね!
 
 
脱社畜を目指せ!家の中からネットで稼ぐ不労働所得の方法集めてみた!
 
ってな訳で社畜という苦痛から逃れても人生は逆に楽しくなるので、脱社畜の為に何かしたいと考えているのであれば是非どうぞ!

 

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