仕事に自分を合わせる。は嘘!自分が当たり前に出来ることを探すべき!

人ってのは適材適所ってモノがありますね!

どうも!転職のプロフェッショナル(過去10回)を自称するAtusiです!
 
今でこそややマシになってきましたが、一昔前は「自分に仕事が合わない」といって辞めるのが悪という風潮がありましたし、未だにこの風潮の方が強いと感じています
 

 
仕事というのは自分に合わせるんです。
 
これが合う、これが合わないと言っていたら、合う仕事なんてありませんよ。
 
小野二郎 NHK番組『プロフェッショナル仕事の流儀』より
 
こんな言葉があるくらいですが、これは私の思うに仕事大好き人間の言葉であって、生活の為に仕事をしてるって人には全く当てはまらないと感じます
 
しかも世の中では前者は少数派で、圧倒的大多数を占めるのって後者のはず
 
 
私自身も後者の考えで、転職を繰り返してると自分が出来る・出来ないものっていうのが段々とわかってきます

それも必死にやっても全然出来ないことから、特に意識せずとも自然体で出来るものまで多種多様でした
 
 
そうして思ったのが「仕事に自分を合わせるってのは嘘。自分の方に仕事を合わせるべき」と痛感しましたね
 
 
今回の記事は私のついた職業と期間を書きながら人には出来ることと出来ないことがあるってのを知ってもらおうかと思います
 
一応ブラック企業だったのがほとんどですが、出来るだけ職場のブラックさを別にして、職業単体で思ったこととか書いてみます 

 
 



過去私がついた仕事

板金加工 2ヶ月 適正壊滅的になし

高校卒業して初めてやった仕事がこれ

プレス機や溶接といった、巻き込まれたら確実に身体の一部が無くなるか死ぬっていうような職場は、緊張感が本当に半端無かった
 
人前に出る系では緊張しない私ですが、命に関わる系の緊張には滅法弱いので、疲労感が毎日すごかった
 
特に私の居た職場では指をプレスで潰した人なんかも居ましたし「自分も続けていればああなる」と、あれを見て感じたので滅茶苦茶怖かったです
 
騒音なんかもすごかったですし、耳が痛いとはまさにこの事でした

 
未だに鉄を削った匂いを嗅ぐと当時の嫌なことが鮮明に出てきますので、適正は壊滅的に無いでしょう 
 
 
 
 

電気配線 半年 適正なし

電気配線というのは、電線の加工が意外と繊細なモノで、表面の樹脂をはいだりする時に線に傷が入っては行けない。とか金具の位置は電線から何ミリと結構細かい 

しかも大掛かりな装置になってくると、テレビの裏側のコンセント以上に絡まってるので何がなんやら分からないんですよね
 
根が適当でガサツなので、繊細な作業ってのは苦手だったし、こんがらがったモノを整理してるだけでアタマの容量がいっぱいになってしまうんで、これも適正はある方では無かったです
 
強いて言えば、上記よりは命の危険は少なかったので、板金よりはマシといった程度ですね 

 
 

 

コンビニバイト 半年 適正壊滅的になし

接客業全般も本当に壊滅的に適正が無かったと今になって思う
 
過去、喧嘩を行ってきた私は我慢するってことが本当に出来なくて、嫌なことがあれば相手に返すってのを条件反射で出来るようにしていたのが裏目に

客でも嫌なやつが居ると、その場で滅茶苦茶顔に出てしまうんです
 
そのことで周りの人間から注意を何度も受けるんですが、一切治らないです
 
 
しかも客や店の状況など、自分の許容量を超える処理を全体を見渡してやらないといけなかったので、全くアタマの処理がついていってなかったです

 
 

ライン工 半年 適正なし

単純作業の仕事であれば出来ると思い志望をしましたが、これも適正は無かったです
 
自分のペースでする単純作業であれば得意ですし、好きな物事であれば15時間ぐらい没頭は出来るんですが、仕事のライン工ってのは全くの逆

機械のペース、それも生産量の関係から早めの速度だったり、全く興味の無いものを触るので集中力が全然持たないんですよね
 

しかも仕事が単純で頭を使わない分、手だけ動かして余計な事ばかり考えてしまうので、集中できずにやらかすってのはありました
 

大企業のラインだと覚えることが多く、単純作業だけという訳にも行かず。複雑な事を覚えなくて良いというイメージしてたライン工のいい部分が無くなって、悪い部分だけ残ってた感じでした
 
 
 

 

介護士 2年10ヶ月 技術的には適性なし、精神的にはあり

介護士は1年8ヶ月と1年2ヶ月に分かれて二度経験
 
職場のパワハラや無茶な勤務に耐えれなかっただけで、精神的にはノルマも無い世界でしたし、労働環境さえ良ければ続いて居たと思ってます
 
精神面も年寄りの暴力は確かにあって苦痛じゃないと言えば嘘になりますが、集団リンチ受けたことがある私から見れば可愛いものです
 
どうも性格上、強いものには平気で噛みつくみたいですが、自分より弱い人間には穏やか(周囲の人間談)らしいので、そういった意味でも適正はあったのかもしれません
 
 
精神上は向いてたかもしれませんが、技術面では「これさえしておけばおk」というものでも無く、一人ひとりに合わせた方法を行わないといけないのが辛い
 
この範囲を自分で決めれるのであれば問題は無かったのでしょうけど、人に合わせるというのが苦手な私はこれが辛い
 
機械と違って人間だと毎日状態が変化して、その時によってベストな行動ってのが変わるので、臨機応変が苦手な私は技術面では適正が無かったです

  
 

調理師 2年2ヶ月 適正大いにあり

今までの人生で一番楽しかった仕事だったし、今後の人生に大きく関わる仕事だとも思った
 
ちょっと時系列が無茶苦茶になると思うんですが、事あるたびに3年4ヶ月続いたというのは「同じ職場で介護を1年2ヶ月、調理を2年2ヶ月やって合計3年4ヶ月」ということになります
 
まず料理が趣味でやるくらいに好きだったので、仕事をやってるというよりも「趣味の延長線をやって金を貰うという感覚」
 
本当にいい意味で仕事をしてるって感覚が無かったのが大きい
 
 
元から興味のある分野だったので「仕事を覚えなくちゃ・・・」と追い込まなくても自然体でどんどん知識が入っていくのが大きかった
 
 
仕事内容とかも料理をつくるのであれば個人の仕事ですし、手早くやると言っても機械に左右されずに自分でペース配分を行えるのが大きかったです
 
味付けなんかも「この範囲に収まっていればどうでもいい」というある意味ではガバガバな基準なので、完璧主義を目指さない私にとってもストレスは無かった
 
 
 
刃物や火といった危険な物もありましたが、全て自分で動かすモノなので、自分の手を止めれば全て止まるものばかりで
 
工場の機械とかだと「あっ」って思って手を止めても、止めた瞬間では止まらないので、その僅かな差が重大事故になりますが、包丁なんて自分の手を切った瞬間でも止めればすぐに止められますから、そういう意味では恐怖も無い
 

それに食べて貰う人に合わせる仕事、と言うよりは食べてもらえる範囲を探って、自分で調節するという感じなので、人に合わせる仕事と言うよりは自分本位だったのも良かった点です

「好きなモノは仕事にしないほうがいい、その物事が嫌いになるから。」

って言葉を聞いたことがあったので、料理は好きでいたいから仕事にするのはやめておこうと思ってましたが、やった仕事が全て適性が無く「もう嫌いになってでもいいからこれにすがるしか無い!」と思って仕事にした時期がありましたが、料理の事は嫌いになるどころか、理解が深まってますます好きになりましたしね


この言葉は、その物事に対して最初からさほど好きでは無かった奴の言葉なんだなって思いました
 
 
現に一番長く続いたのはこの仕事でした
 
 もし仮に田舎で自給自足の生活をやろうとして失敗した場合に就業を行わないといけないのであればこれ一択です
 
 
 
 

農業 20日 職場が悪いだけで適正はあり

調理を経験して食べ物に興味があったし、いずれ自給自足という夢があったので経験してみました 

職場がとんでもないブラックだったので1ヶ月立たずに辞めましたが、草をむしってる時や、収穫してる時そのものはとっても良かったですね

草むしりでも終わりが見えてるので、それに向かって動くだけですし、その間は煩わしい人間関係とかも無かったので良かった
 
もし適正がないなら田舎で自給自足の夢を捨ててたでしょうけど、まだ持ち続けてるってことは適正そのものはあるんでしょうね

 
 

検査業務 5ヶ月 製造はあり、管理は壊滅的になし

単純作業でも、自分のペースで出来る仕事であれば没頭が出来るってのが分かりましたし、検査とかだと顕微鏡を覗いて自分の世界で仕事ができるので、大企業のライン工と違って、機械など周囲の状況に流されず自分のペースを維持できたってのは大きかったです
 
他のモノがあると気が散りやすい私にとって、視野を強制的に狭くして一点に集中できたってのは悪い環境では無かったです 

それに顕微鏡を覗いて手を吹っ飛ばすなんてことも無かったですし、そういった命に関わるプレッシャーってモノが無いのも大きかったです

 
ただ、製造だけではなく、周囲の人間をマネジメントってのが入ると話は別 

コンビニが苦手だったように、周囲を見て優先順位をつけて臨機応変ってのが難しく、どちらかと言えば物事が沢山あったら一つづつ虱潰しのようにこなすのが得意な私には適正が無かったです
 
一つこなせば終わりという訳ではないので、終わりのない作業を延々とやるのはしんどかったです
 
 

  

終わりに

私みたいに根がガサツで興味の無いことは一切出来ないような一件ただの無能にしか見えなくても、調理のように完璧主義を目指さないガサツさが必要な場所では息をするように働けたりします
 
どんな人間でも適正のある物事ってのは絶対に存在するので、適性の無いことを頑張っても人並み以下の能力しか引き出せないのであれば、自分が出来る適性のあるものを自然体で出来る仕事を探したほうが良い成果が出ますし苦労して頑張る事をしなくていいですからね
 
 
「職場で無能」と思うのなら「他の場では有能」の可能性が非常に高い件
 

と言う感じでできる物事は人によって違うはず
 
仕事なんてモノは人間が作ったモノなんだから、仕事に使われるって本末転倒だと確信してるので、人に仕事を合わすのが普通ではないでしょうか?
   




 
おすすめの記事